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薄紅のコスモスが秋の日の…

本日2回目の更新です。

今日は風が少しだけ吹いていてベランダから見えるコスモス畑が揺れています。これがとてもキレイなんです。秋の日の何気ない陽だまりに揺れているんですw

 

我が家のベランダから見える景色は180度隅から隅まで畑で、まるで富良野か美瑛かと見間違うくらいの絶景が広がっているんです。(少し大げさだけど)

毎年その広~い畑の一角に、野菜農家の人がススキとか背の高い大麦とか、収穫しない植物を植えて草原をこしらえているんです。というのも、近くにある保育園児の散歩コースになっているので、そのスペースで遊べるようにと。優しいですよね。

そして今年はそこがコスモス畑になっていて、今この花が色とりどりに満開なのです。

自分の背丈よりも高いコスモスと戯れている子供達、めっちゃ可愛いんですよ。はしゃぐ声にも癒されます。

で、ふとこの草原に放ちたい大人の二人がいるなあと私は妄想しました。

そうです、大ちゃん、マオちゃんですw

今から2年後の秋、引退して、もう何も思い残すことがないやりきったマオさんと、その姿に心底安堵して目を細めている大輔さんがお花畑で走り回っています。

「待てコラ~」「ウフフ、きゃっきゃっ」きっと天国みたいに穏やかで幸せ感じる光景だろ~な~。

「あ、走り回ってたらコスモスの花がもげちゃったよ。マオこっち来てみ」大輔さんはマオちゃんの耳に薄紅色のコスモスを差して上げるんです。FOIで自分が付けていたチョーカーを観客に付けて上げたあの感じで(見てないけどさwww)

。。。すみません、病み上がりなんでキモい妄想してしまいました。(病んでなくてもしてるけどー)

 

こんな能天気な妄想さらした後になんですど。

自分が大切に思っている誰かが、あまりに理不尽な目にあって報われないと、それとは逆の立場の対象に同じ地獄を味合わせてやりたいと思ったことはありませんか?私はあります。

アスリートは何の為に日々苦しくてキツイ練習をしているんでしょうかね。自分の理想とする演技、世界感を見せたいだけならアスリートとしてのモチベーションはさほど上がらないと思います。レベルを取りたいから修正したり、勝ちたいからハードな練習を重ねるのではないでしょうか。

なのにその日々の努力はジャッジの匙加減で意味のないものにされてしまう。完璧でもレベルを貰えない、どんなに頑張っても正しくは評価して貰えず自分を勝たせようとはしてしてくれない。採点競技で戦うアスリートがこれを悟ったら地獄ですよ。時間を費やして練習する意味があるのだろうかと心が折れたとしても当然ですよ。

それを見守るしか出来ないファンの「勝ち負けに拘らず」という言葉もまた、中々残酷だなとも感じます。でもそう言ってあげるしか手立てがないのも理解出来るんです。

私はそんな選手や、その選手を応援して嘆いているファンを、その苦しみが理解出来ずに高見から安心して眺めていられる人達に対して同じ苦しみを味合わせたくてたまらなかった時がありました。

これまでもこれから先も、同じことが繰り返されていくのがわかっていながら、応援するファンはそれを見守るしか出来ない。この歪んだ世界に終わりが来る日は果たしてあるのでしょうか。

と、なんか両極端な内容になってしまった。。。